9月1日 防災の日に③
金庫室の扉が開いたのは、地震発生から4日後のことでした。
ビルの建築会社の方が、ガスバーナーで扉の一部を焼き切り、こじ開けてくれたそうです。
私達愛媛に残った社員が一月後に帰神したとき、5階建て本社ビルは、くの字に折れ曲がったままで、入口には薄汚れた「全壊指定」の紙が無造作に貼られていました。
中に入ると、3階応接室の太い鉄筋コンクリートの柱が折れ曲がり大きな口を開け、破断した剝き出しの鉄筋が鈍く光っていました。
幸い従業員とその家族は無事でしたが、全員の安否を確認するのに1週間を要したそうです。自宅が損壊した社員も多く、貼紙や聞き込みを頼りに避難所をあたるしか術が無かったからです。
身体は無事だったものの、心を病んだ社員もおり、以来職場に復帰することが叶わず去った同僚もいました。
本社屋を失った私達は、被害の小さかった社長の自宅に商品を運び込み、仏間に間に合わせの事務所を拵え、よろよろと営業を再開しました。
畳の上での営業は、翌年の初夏まで続くことになります。